誰のしわざ

やつの気配を感じたのはこの前の日曜日。

そう,花粉だ。

 

春は嫌いじゃないけれど,花粉ばかりは好きになれない。

私はお花は大好きだけれど,私の体が好いてくれないのだ。

私の人生の中での唯一のロミオとジュリエットのような悲劇的な部分だろう。

こればかりは運命と思って20年近く受け入れてきた。

 

去年まで,東北地方の山奥の大学に通っていた。

山のてっぺんあたりに建つ建物の12階から毎日,西側の窓から山を眺め,東側からは街を見下ろしてきた。

冬場は30キロ近く先にある海の沖の方まで見えるくらい,遠くまで見えるのに,春になると本当に空気がぼんやりするのだ。沖のタンカーはたまにしか見えない。

 

そんな春の少し風のふく日に西側の山を見ると,山がごうごうと黄色いモヤをはいていた。

きっと花粉だ。

私は遠くに見えるそのモヤ山(心の中でそう呼んでた)に入ったことはないけれど,行ったら最後、もう呼吸はできないのだろうなと思っていた。

花粉症の同級生たちには悪い話だから,モヤが見えるなんて口にしたことは無かったけど,わたしは毎日それを一人でとても気にしていた。

黄色いモヤは夕方になるとゆっくりこちらに薄くなりながら向かってくる。

そして,私のところに着くか着かないかという頃に日は沈み,暗くなってしまうから私はモヤのことは忘れるのだった。きっとここを通り抜けていっただろうに。

それでも東北の春の夜は寒いからか,花粉症を感じたのは年に数日間程度だった。

 

東京は春が早い。ずっと前から春のようだ。

毎日高層ビルから見渡す都会の街はいつもモヤの中にいるようだ

山のてっぺんから遠くを見なくなってから,私の目が悪くなったのかもしれない。

ただ視界がぼやけているだけかもしれない。

それでもモヤが春に向けて濃くなっている最近を,最近の東京の街並みを見つめている。

もともと遠くが見えなかったとしても,東京に春が来ていると感じるのは

春の夜の匂いがした時だ。甘いような,むうっとしたような不思議な匂いだ。

この匂いは私の故郷も,大学時代を過ごした東北地方でも同じ匂いだった。

 

どこでも一緒なのだろうか。 

 

誰だろう。春をこっそり知らせてくれているのは。

土がやわらかくなった匂いなのか,誰かが芽吹いている匂いなのか。

実はわたしの体調が春になると少し変わって、鼻の中だけ匂いが変わるということか。

冬眠から目覚めた動物のあくびなのか。

その匂いをかぐたびに不思議な気持ちになるのである。