におい

わたしは匂いフェチだ。
かと言って、あの匂いが好きとか、彼の匂いが好きとかそういうのはなくて、何がしかの匂いを嗅ぐのが好きなのだ

それは匂いは記憶と結びついているからだ

春の夜の匂いを嗅ぐといろんなことを思い出す

学生時代に友達とミスチルを歌いながら散歩したこと、他人に優しくしてもらって幸せな帰り道、遅刻しそうで走ったバイトへの道など

春の夜の匂いと言ってもいろんな匂いがある
木蓮の匂い
土の匂い
じっとりした匂い
ぽわんとした匂い

〇〇の匂いとは言えなくても、はっきりと知ってる匂いがあるのだ
ただひたすらに素敵だと思う
もし五感を少しづつ失う日が来るのなら、わたしにはどうか最後まで嗅覚を残して欲しい


今朝、家の掃除をしていて、滅多に開けない棚を開けることがあった

そこには匂いがあったのだ
きっと前の人の匂いか、このお家の体臭のようなものかもしれない

途端にこの家に着いた日のことを思い出した
仙台から東京へ出てきて、生ぬるい風に吹かれて、信じられないくらいぽかぽかした窓辺で、だけど床は冷たくて、電車の音、人の声、車の音がずーっとするこの家に来た日の全てが目玉の裏側と鼻の奥に広がったのだ
希望とともに始まった東京暮らしのあの日を思い出した

それと同時に前のお家を出た日の仙台が同じように日差しがぽかぽかしてたのに、家を出たらとても寒くて、風が強くて、寒さゆえに太ももがちぎれそうになって、カラカラの匂い(長い間外にいた人からするにおいを凝縮したもの。冬に長距離走をした人の吐息みたいなにおい)と近所の和菓子屋さんのあんこの匂いがしたのも思い出したのだ

今この目の前の棚はわたしがここへ来た最初の日の音、温度、湿度、気持ち、全てをしまっていてくれていたんだと思ったら、これだけで十分、もう他に何も入れたくなくって、わたしはそっと扉を閉めた