答えは身近にあるという話

この夏、私の家族は大切な局面に立たされていた。

夫の転勤が決まったのだ。

夫婦で話し合った結果、私と子供が今の居住地に残ることになった。私の仕事、子供の保育園はそのままに、夫だけが新天地で新生活を始める。

夫が転勤後には、私一人で仕事家事育児を回さなければならない。

この決断に対して、やっていけるかなという私の不安を超えて、周りの方が不安に思っていたらしい。

「ワンオペは大変だよ?やめた方がいい」

「家事育児に加えて、仕事をやらなきゃいけないの?仕事辞めたら?」

「仕事をやめてついていきなよ、家族が可哀想」

「あなたが仕事をやめないせいで家族が辛い思いをする。」

私の決断に対して、周りの声はあまりにも現実的で、刃物のようにわたしの心に刺さった。

「あなたのせいで、、、家族が可哀想」のくだりは本当にずるいくらい、曲がりなりにも母である私の心を揺さぶった。夜、布団に入ってからも、私って悪い母?わがままなのかな?と自問自答の日々だった。

 

そんなときふと思い出したのが、大学時代の友達の言葉である。

「何かを選ぶのに悩んだ時は、やる後悔とやらない後悔、どっちが勝つか考えて選んでるよ。」

この友達は19歳の時に私にこの言葉をくれた。

 

さて、今の私にとってはやる後悔、やらない後悔どちらが大きいだろうか。

答えはずっと前から決まっていた。

仕事をやめた後悔が圧倒的に強くなってしまうだろう。なにせ、わたしの今の仕事は、私が妻や母になるより前、自分が中学生の時からやりたいと思ってた仕事である。

激務かもしれないけれども、わたしは自分の仕事が好きだ。

それに、仕事をやめた後はきっと、わたしはグチグチ言うことになる。そのグチグチの餌食はきっと家族だ。不機嫌な母、これこそ本当に家族が可哀想ではないか。

さらに現実に目を向ける。

もし仕事を手放して、転職するにしても、保育園に通う子供がいる母を時短で最初から雇ってくれる会社はあるか。引越し先で保育園は見つかるか。小児科探し、生活の基盤づくり、これらを転職とワンオペ家事育児とセットでこなせるか。

 

やっぱり夫婦で話し合ったとおり、別居で頑張る方針にしようと心は固まった。もう揺らがない。

ただし、2年限定で。夫には人事にアピールしてもらって、絶対に今の居住区に戻ってきてもらう。夫の会社の人事が首を縦に振ってくれないなら、転職も考えよう。

 

そう決めた途端、今度は新生活を応援するよと声をかけてくれるお友達や、家政婦を紹介してくれる知人の声が届くようになった。上司も、私の給与はそのままに、育児をこなしやすいように雇用形態を調整してくれた。

自分が悩んだ時に、自分の決断を応援してくれる人の存在は涙が出るほど嬉しかった。(本当に泣いた)

 

結果、家族でぶつかった壁の乗り越え方は家族の中にあった。

「夫 転勤 共働き」と意味もない検索も何度もした。でも所詮、ネットの意見なんて知らない人の意見である。私の家族の事情を全て知るわけではない。

事情というのは保育園や仕事がどうとかだけでない、夫婦の性格、関係、子育ての方針、居住区、金銭面のこと...こんなことを他人が100%知るよしもないのだ。

だから、家族の問題の答えはやっぱり家族の中にある。他人に意見を求めるのは時として大切なことだ。凝り固まった自分の脳みそをほぐし、問題を自分が見ている裏側から見てくれる。

だけど、何度も言う、やっぱり家族の問題の答えは家族の中にあるんだ。自分で決めたことだから間違いない。

もしここで、私が仕事をやめてついて行ったら、私の人生には「夫の転勤のせいで」という言葉がつきまとう。そんなのは誰のためにもならないだろう。

今この世の中で日々、問題に直面してる家庭がたくさんあるはず。

そんな人に言いたいのは、

あなたが出した答えが正解だよということ。

自分の出した答えでなんとかならなくなったら、そのときまた答えを出せばいい。

 

こうして家族は強くなっていくんだなと実感した夏だ。数ヶ月後にはワンオペに疲弊してどうにもならない私がいるかもしれないけど。