ピアノに触れた話

先週、某田舎町に出張した。

こんなご時世に出張なんて…という話は今は一旦置いておく。とりあえず言いたいのは、法的に行かなきゃならない出張だったとだけ。

 

本題に入る。

出張には職場の先輩と2人で行った。公共交通機関を約半日かけて乗り継ぎ移動する中、途中駅でストリートピアノを見つけた。

閑散とした駅のロビーにポツンと置かれたピアノは、西日を受けてオレンジ色に輝いていた。

 

あれ、ピアノってこんなに美しかったっけ。

 

気づいたらピアノに吸い込まれるように、身体が勝手に向かっていた。

そっと鍵盤に手を置いてみると、とっても懐かしい気持ちでいっぱいになった。

思えば、私はピアノが大好きだった。

母曰く、あなたが習いたいと言って聞かなかったから通わせたというヤ○ハ音楽教室の門を叩いたのは4歳の時。その後、10年以上毎日弾いていた。親元(ピアノ)を離れる期間もあったが、社会人になり念願の自分の電子ピアノを購入し、今も持っている…はずが、いつしか子供を産みバタバタする中で物置部屋の番人になってしまったのだ。

 

久々に触るピアノはちょっと生ぬるい感じがした。日に当たって暖かくなっていたのだろう。

鍵盤に手を置くと勝手に指が動く。

ぎこちないが、踊るように鍵盤を駆けずり回る指。

ピアノから聴こえてくる音が自分の弾いた音だと理解するのに少し時間がかかった。

 

慌てて先輩が追いかけてくる。

「あれ、ピアノ弾けたの?」

「あ、弾けるんです」

「実は俺も最近弾き始めたんだよね」

「え?!」

先輩とどんな曲を弾いているか話す中で、先輩が久石譲のSummerを練習中だと聞く。それなら、私も昔弾いたことありますよ。と言い、先輩が左手パート、私が右手パートで連弾をした。

人と音楽を奏でるってこんなに楽しかったっけ。隣を見ると仕事では見たことなさそうな笑顔で笑う先輩がいて、正面を見ると同じく嬉しそうな自分の顔がピアノに写っていた。

涙が出そうだった。

 

いつしかすっかり自分の好きなものを見失っていた。

仕事・家事・育児…スマホを見る時間はあれど、ピアノを触る時間も心の余裕もなかった。

私にとってピアノは母が言う通り、幼い私がなぜか惹かれて、当時の自分の人生で一番の存在である母の反対も押し切って、自分で選んだ趣味の一つだったのだろう。

今の私はやらなきゃいけないことに押しつぶされ、母としての世間体的なものを気にして生きている。私の人生はとても受動的だ。

過去の能動的で自由な自分が選んだ一つのピアノという存在に気づいて、いきなり自分を見つめ直した。

 

そのあとの乗り換え待ちの時間はずっとピアノを弾いて過ごした。先輩には取り憑かれたように弾いてたよと言われ、ちょっと恥ずかしくなった。

 

帰りの電車ではピアノのことばかり考えていた。帰宅し、子供を寝かしつけ、寝室を出た私はピアノの前で夜を過ごした。

とても楽しかった。

あれから毎日ピアノを弾いている。

小さい頃の私が、大人の私に持たせてくれた日常の彩りは、少しくすんでしまったこともあったけど、今、また鮮やかになって戻ってきた。