ただいま
仕事を一週間休んでいる。
名目は、子供の看護休暇である。
事実、子供が病気になり、入院した。退院したものの、入院中に体力が落ちてしまって保育園に通えないため看護休暇を取得し、リハビリ期間は母子で過ごすことにした。
まずは大前提としてこの休暇に理解を示してくれた(であろう)職場のみなさんに感謝である。
(この一文を書かないと気が済まない)
この看護休暇は母の看護休暇でもあった。
これまで散々書いた通りの単身赴任生活でとてもとても限界だった。今思えばおかしな話だが、夜は不安と緊張感で午前2時まで寝られず、翌朝5時半には起きてせっせと家事育児をしていた。ほぼ毎日頭痛だったので頭痛薬とお友達だった。
この数ヶ月、自分が食べたものの記憶がない。
子供と過ごした平日の記憶がない。
そんななか、子供が体調を崩し、入院した。悲しいことにこのコロナ禍、母の付き添い入院は叶わず、1日30分までの面会のみで顔を合わせていた。入院した子供は歩けないくらいに、笑えないくらいに、眠れないくらいに弱っていた。
後遺症が残るかもしれないと聞いた時は、血の気がひいた。(結果としてなんともなかったのはよかったが)
突然子供と暮らせなくなり、母としての自分を何万回も責めた。
「ほら、やっぱり私が働くことを選んで、母子二人暮らしを選んだストレスが子供を弱らせてしまったんだ。妊娠中に残業しすぎたのがいけなかったんだ。仕事なんて、どうせ妊娠した時点でどれだけ頑張っても認めてもらえなくなるのに、子供を犠牲にして頑張って、何のためにやってたの?もしこれで子供に後遺症が残って、人生を変えてしまったら、私は本当に母親と言えるのか」
自分の後ろを振り返ると、辿ってきた道がスゥッと白く細くうっすらと見えた気がして、次の瞬間には何もなくなってる気がした。
「一回休もう。仕事の替えはいるけど、母親の替えはいない。今、私は、子供のために私のために生きてみたい。」
そう決めて、子供の退院に合わせて休みをとった。
ただ子供に抱っこしてと言われた時に抱っこし、二人で話して食べたいものを食べる。
冷たい風に吹かれて公園をジグザグに歩く。
夕日に照らされた茜色の芝生の上に立ち、手を繋ぎ遠くから聞こえる電車の音に耳を傾ける。
浴室に響く、柔らかい赤ちゃん言葉。
小さくてまんまるの子供のお腹に左手をそっと乗せてねむりにつく夜。
小さくてしっとりした子供の手に頬を打たれて起きる朝。
目が合えば「ママ」と満面の笑みを浮かべる小さな子。
かわいい。愛おしい。育児って、幸せだったんだ。これが「暮らし」だったんだ。
毎日は「こなす」ものではなくて、「暮らす」ものだったんだ。
突然、生活にポワンポワンと色がつくような感じがした。
来週から、子供は保育園へ通い、母も職場へと戻る。時間に追われれば、また二人の生活は掠れ掠れの絵の具のようになる。
でも、今度はその色がなくなってしまう前に、ちゃんと足を止めて二人の時間を作りたい。
職場にはいろんな人がいる、育児をする人をあーだこーだいう人もいる。その意見には私も少し賛成してる。だって、子供を理由にこんな簡単に休む私を信用できるわけがないもの。でもそんなことを言う人に遠慮する必要はない。 そんな人に神経をすり減らすより、大切にしたい人がいる。
申し訳ないけど、これが今の私の答えです。職場の皆さんにご迷惑をおかけしてるのは重々承知してます。
でも、私の人生は私が決めたい。子供の人生は子供のものだけど、産んだ親の責任として、できることはしてあげたい。
私の母はすごく自分自身を犠牲にする人だった(わがままな父とは裏腹に笑)。私が母のその性格について問うと、苦笑いしながらこう言っていた。
「母親なんてこういうもんよ、結局自分より子供が可愛くなっちゃうんだから」
どうやら、私も母親になってきたようだ。