よくないよくない
最近の我が子の口癖が
「よくない!よくない!」である。
ご飯をこぼしちゃった時、靴がうまく履けなかった時、朝起きて外を見たら雨が降っていた時、決まって口にする言葉。
そんな生活の中で母が最近、よくないよくない、と感じているものがある。
「滅私奉公」
言い換えるならば社会のための自己犠牲である。日本の悪き風習というか、なんというか、多少自分(や家族)を犠牲にしてでも社会のため会社のため...みたいなことを美学とし、さらにそれができない人を悪くいう風潮がある。
もちろん、仕事には責任があり、その責任に対しての報酬で生計を立てて生きていくのが、「勤労の義務」を語るこの国のシステムである。(そうでない人がいるのも知ってる)
が、それが行き過ぎるとQOLが著しく下がってしまうのだ。
さて、私の夫は単身赴任中である。彼は何度も転勤を断り、最終的には断るすべなく会社のためと家を出て行った
途中経過は割愛して、今その負担は残された母とこの二人暮らしに寄せられている。
家事育児仕事がこの私と言う怠惰で不器用な人間が24時間で終わらせられるわけもなく、寝る間も惜しんで、子供の寝かしつけ後に残業をしている。
そしてついに身体を壊した。
夕方になると毎日、頭痛と腹痛に襲われる。しかもこの腹痛、かなりハードで日によっては1時間くらい動けなくなってしまう。子供はその横で「あぁ、またママは疲れてるのね」という感じで一人小さく背中を丸めて絵本を読んでいるのだが、なんともその風景が切ない。
夫のいる週末は、「すまん、腹がガチで痛いので休ませて」と言って寝室で一人うめいていられるのだが、平日は痛みが過ぎたらご飯を作って子供をお風呂に入れて洗濯をして、食器を洗って、寝かしつけて、仕事に戻るのである。
夫の滅私奉公が招いた暮らし、、、と思ったが、寝かしつけ後にパソコンを開いている私もなかなかである。
もうやめませんかね、こんな生活
何十年後か、あるいは近い未来に本当の本当に身体を壊して、小さな子供に大きな負担を負わせたくない。
その時に子供は「よくないよくない」では済ませてくれない。
どうせ仕事もできる範囲で頑張ったって、時短のくせに、給料もらって育休してたくせにと言われるのだからもうなんでもええです、とたまには腐ってみるのである。
※育休は会社から給与が出るのではなく、働いてる間に自分が納めた社会保険から保険料が出るシステムです!
総合
愛してやまない東京事変のベストアルバム「総合」
みなさん、もうお聞きになりましたか?
わたしは毎日擦り切れるくらいに聞いています。サブスクなので擦り切れることはないんですがね
名曲の数々、ずーっと聞いてきたからいろんな思い出が思い起こされて、それも合わせて楽しいです。
そして、その思い出を思い返して思うのは自分も歳をとったなぁということ。
だけど、、、だけどさ、、、
椎名林檎さんや、年取ってないよね?!
一曲目が最新曲「原罪と福音」
二曲目が18年前のデビュー曲「群青日和」
この二曲が何の違和感もなく繋がってる。よくよく聞くと、過去作は撮り直したかな?というくらい音圧がエグいことになっているけど、歌は変わってない。
つまり、ボーカルが18年前と変わらぬパフォーマンスをしているということ。
18年前から成熟しきってたということ?ゾッとしました。
わたしがこのアルバムで一番、すげえええええってなった点でした。
ただいま
仕事を一週間休んでいる。
名目は、子供の看護休暇である。
事実、子供が病気になり、入院した。退院したものの、入院中に体力が落ちてしまって保育園に通えないため看護休暇を取得し、リハビリ期間は母子で過ごすことにした。
まずは大前提としてこの休暇に理解を示してくれた(であろう)職場のみなさんに感謝である。
(この一文を書かないと気が済まない)
この看護休暇は母の看護休暇でもあった。
これまで散々書いた通りの単身赴任生活でとてもとても限界だった。今思えばおかしな話だが、夜は不安と緊張感で午前2時まで寝られず、翌朝5時半には起きてせっせと家事育児をしていた。ほぼ毎日頭痛だったので頭痛薬とお友達だった。
この数ヶ月、自分が食べたものの記憶がない。
子供と過ごした平日の記憶がない。
そんななか、子供が体調を崩し、入院した。悲しいことにこのコロナ禍、母の付き添い入院は叶わず、1日30分までの面会のみで顔を合わせていた。入院した子供は歩けないくらいに、笑えないくらいに、眠れないくらいに弱っていた。
後遺症が残るかもしれないと聞いた時は、血の気がひいた。(結果としてなんともなかったのはよかったが)
突然子供と暮らせなくなり、母としての自分を何万回も責めた。
「ほら、やっぱり私が働くことを選んで、母子二人暮らしを選んだストレスが子供を弱らせてしまったんだ。妊娠中に残業しすぎたのがいけなかったんだ。仕事なんて、どうせ妊娠した時点でどれだけ頑張っても認めてもらえなくなるのに、子供を犠牲にして頑張って、何のためにやってたの?もしこれで子供に後遺症が残って、人生を変えてしまったら、私は本当に母親と言えるのか」
自分の後ろを振り返ると、辿ってきた道がスゥッと白く細くうっすらと見えた気がして、次の瞬間には何もなくなってる気がした。
「一回休もう。仕事の替えはいるけど、母親の替えはいない。今、私は、子供のために私のために生きてみたい。」
そう決めて、子供の退院に合わせて休みをとった。
ただ子供に抱っこしてと言われた時に抱っこし、二人で話して食べたいものを食べる。
冷たい風に吹かれて公園をジグザグに歩く。
夕日に照らされた茜色の芝生の上に立ち、手を繋ぎ遠くから聞こえる電車の音に耳を傾ける。
浴室に響く、柔らかい赤ちゃん言葉。
小さくてまんまるの子供のお腹に左手をそっと乗せてねむりにつく夜。
小さくてしっとりした子供の手に頬を打たれて起きる朝。
目が合えば「ママ」と満面の笑みを浮かべる小さな子。
かわいい。愛おしい。育児って、幸せだったんだ。これが「暮らし」だったんだ。
毎日は「こなす」ものではなくて、「暮らす」ものだったんだ。
突然、生活にポワンポワンと色がつくような感じがした。
来週から、子供は保育園へ通い、母も職場へと戻る。時間に追われれば、また二人の生活は掠れ掠れの絵の具のようになる。
でも、今度はその色がなくなってしまう前に、ちゃんと足を止めて二人の時間を作りたい。
職場にはいろんな人がいる、育児をする人をあーだこーだいう人もいる。その意見には私も少し賛成してる。だって、子供を理由にこんな簡単に休む私を信用できるわけがないもの。でもそんなことを言う人に遠慮する必要はない。 そんな人に神経をすり減らすより、大切にしたい人がいる。
申し訳ないけど、これが今の私の答えです。職場の皆さんにご迷惑をおかけしてるのは重々承知してます。
でも、私の人生は私が決めたい。子供の人生は子供のものだけど、産んだ親の責任として、できることはしてあげたい。
私の母はすごく自分自身を犠牲にする人だった(わがままな父とは裏腹に笑)。私が母のその性格について問うと、苦笑いしながらこう言っていた。
「母親なんてこういうもんよ、結局自分より子供が可愛くなっちゃうんだから」
どうやら、私も母親になってきたようだ。
混沌とした脳内
もともと不定期なブログだったけど、ちょっと筆を置きます。
私生活に仕事、育児、ぜーんぶ自信がなくなってしまった。
1人で仕事家事育児を回すことになって、全部が自分の肩に乗ってしまった。この生活を始める前はできるだろうと思ってたいろいろが、やっぱり出来なかった。けど、逃げ道もなく、やっぱり1人でなんとかしなければならない。
今までは、子供の急な発熱での保育園のお迎えも、「今日は抜けられない会議があるから」と言って夫にお願いできたが、今は何があっても私がお迎えに行くしかない。
生理痛が激重でも、なんとなくダルい日も、イヤイヤ期の娘を相手に家事育児である。
作ったご飯をぶん投げられることも、トイレまで大泣きをしてついてこられることも、寝かしつけに3時間かかる日も(しかもその後持ち帰り残業あり)、ぜーんぶ自分でやらなくてはならない。
子供と向き合うことは親の責任であり、私もそこは絶対にやり切りたいと思ってるから覚悟もできている。
問題は仕事だ。
私の家庭の都合で仕事を突然休まなければいけないなかで、働き盛りの同期たちを見て、本当はもっとバリバリ仕事したい自分の気持ちを見つけて悔しい思いをする。
子供を産んで仕事を続けると決めたのは自分だから他人の生活を羨んでも仕方ないのは分かってる。職場の上司は子育てを優先できるよう、いろいろ仕事量を配慮してくれてるのは分かってる。
でも、やっぱり私は母親になっても、どちらかを優先したいのではなくて、どっちも全力でやりたいんだ。けど、できない。
後輩女子が私よりも仕事を抱えてることをトイレで愚痴ってることを聞いて全てが吹っ切れてしまった。
「子供がいる人ってだけで、仕事量をセーブしてもらって、私より担当PJも少なくて、早く帰って、それなのに先輩だからって私よりお金もらってるんだよ?」
....ちがう。時短だからお給料だって新入社員以下で、不足分をフォローできるように通勤電車や寝かしつけの後に仕事を無給状態でやってるのに....
仕事の自信はみるみるなくなって、自尊心を保てなくなった自分は、自分という人間そのものを信頼できなくなって、母親としての自分をも疑い始めてしまった。
私はいい母なのだろうか、この子は私が親で幸せなのだろうか。
とまぁ色々書きましたが、
自己肯定感を何か別の形で高められればなぁと思います!ということで、しばらくお休み!
答えは身近にあるという話
この夏、私の家族は大切な局面に立たされていた。
夫の転勤が決まったのだ。
夫婦で話し合った結果、私と子供が今の居住地に残ることになった。私の仕事、子供の保育園はそのままに、夫だけが新天地で新生活を始める。
夫が転勤後には、私一人で仕事家事育児を回さなければならない。
この決断に対して、やっていけるかなという私の不安を超えて、周りの方が不安に思っていたらしい。
「ワンオペは大変だよ?やめた方がいい」
「家事育児に加えて、仕事をやらなきゃいけないの?仕事辞めたら?」
「仕事をやめてついていきなよ、家族が可哀想」
「あなたが仕事をやめないせいで家族が辛い思いをする。」
私の決断に対して、周りの声はあまりにも現実的で、刃物のようにわたしの心に刺さった。
「あなたのせいで、、、家族が可哀想」のくだりは本当にずるいくらい、曲がりなりにも母である私の心を揺さぶった。夜、布団に入ってからも、私って悪い母?わがままなのかな?と自問自答の日々だった。
そんなときふと思い出したのが、大学時代の友達の言葉である。
「何かを選ぶのに悩んだ時は、やる後悔とやらない後悔、どっちが勝つか考えて選んでるよ。」
この友達は19歳の時に私にこの言葉をくれた。
さて、今の私にとってはやる後悔、やらない後悔どちらが大きいだろうか。
答えはずっと前から決まっていた。
仕事をやめた後悔が圧倒的に強くなってしまうだろう。なにせ、わたしの今の仕事は、私が妻や母になるより前、自分が中学生の時からやりたいと思ってた仕事である。
激務かもしれないけれども、わたしは自分の仕事が好きだ。
それに、仕事をやめた後はきっと、わたしはグチグチ言うことになる。そのグチグチの餌食はきっと家族だ。不機嫌な母、これこそ本当に家族が可哀想ではないか。
さらに現実に目を向ける。
もし仕事を手放して、転職するにしても、保育園に通う子供がいる母を時短で最初から雇ってくれる会社はあるか。引越し先で保育園は見つかるか。小児科探し、生活の基盤づくり、これらを転職とワンオペ家事育児とセットでこなせるか。
やっぱり夫婦で話し合ったとおり、別居で頑張る方針にしようと心は固まった。もう揺らがない。
ただし、2年限定で。夫には人事にアピールしてもらって、絶対に今の居住区に戻ってきてもらう。夫の会社の人事が首を縦に振ってくれないなら、転職も考えよう。
そう決めた途端、今度は新生活を応援するよと声をかけてくれるお友達や、家政婦を紹介してくれる知人の声が届くようになった。上司も、私の給与はそのままに、育児をこなしやすいように雇用形態を調整してくれた。
自分が悩んだ時に、自分の決断を応援してくれる人の存在は涙が出るほど嬉しかった。(本当に泣いた)
結果、家族でぶつかった壁の乗り越え方は家族の中にあった。
「夫 転勤 共働き」と意味もない検索も何度もした。でも所詮、ネットの意見なんて知らない人の意見である。私の家族の事情を全て知るわけではない。
事情というのは保育園や仕事がどうとかだけでない、夫婦の性格、関係、子育ての方針、居住区、金銭面のこと...こんなことを他人が100%知るよしもないのだ。
だから、家族の問題の答えはやっぱり家族の中にある。他人に意見を求めるのは時として大切なことだ。凝り固まった自分の脳みそをほぐし、問題を自分が見ている裏側から見てくれる。
だけど、何度も言う、やっぱり家族の問題の答えは家族の中にあるんだ。自分で決めたことだから間違いない。
もしここで、私が仕事をやめてついて行ったら、私の人生には「夫の転勤のせいで」という言葉がつきまとう。そんなのは誰のためにもならないだろう。
今この世の中で日々、問題に直面してる家庭がたくさんあるはず。
そんな人に言いたいのは、
あなたが出した答えが正解だよということ。
自分の出した答えでなんとかならなくなったら、そのときまた答えを出せばいい。
こうして家族は強くなっていくんだなと実感した夏だ。数ヶ月後にはワンオペに疲弊してどうにもならない私がいるかもしれないけど。
ピアノに触れた話
先週、某田舎町に出張した。
こんなご時世に出張なんて…という話は今は一旦置いておく。とりあえず言いたいのは、法的に行かなきゃならない出張だったとだけ。
本題に入る。
出張には職場の先輩と2人で行った。公共交通機関を約半日かけて乗り継ぎ移動する中、途中駅でストリートピアノを見つけた。
閑散とした駅のロビーにポツンと置かれたピアノは、西日を受けてオレンジ色に輝いていた。
あれ、ピアノってこんなに美しかったっけ。
気づいたらピアノに吸い込まれるように、身体が勝手に向かっていた。
そっと鍵盤に手を置いてみると、とっても懐かしい気持ちでいっぱいになった。
思えば、私はピアノが大好きだった。
母曰く、あなたが習いたいと言って聞かなかったから通わせたというヤ○ハ音楽教室の門を叩いたのは4歳の時。その後、10年以上毎日弾いていた。親元(ピアノ)を離れる期間もあったが、社会人になり念願の自分の電子ピアノを購入し、今も持っている…はずが、いつしか子供を産みバタバタする中で物置部屋の番人になってしまったのだ。
久々に触るピアノはちょっと生ぬるい感じがした。日に当たって暖かくなっていたのだろう。
鍵盤に手を置くと勝手に指が動く。
ぎこちないが、踊るように鍵盤を駆けずり回る指。
ピアノから聴こえてくる音が自分の弾いた音だと理解するのに少し時間がかかった。
慌てて先輩が追いかけてくる。
「あれ、ピアノ弾けたの?」
「あ、弾けるんです」
「実は俺も最近弾き始めたんだよね」
「え?!」
先輩とどんな曲を弾いているか話す中で、先輩が久石譲のSummerを練習中だと聞く。それなら、私も昔弾いたことありますよ。と言い、先輩が左手パート、私が右手パートで連弾をした。
人と音楽を奏でるってこんなに楽しかったっけ。隣を見ると仕事では見たことなさそうな笑顔で笑う先輩がいて、正面を見ると同じく嬉しそうな自分の顔がピアノに写っていた。
涙が出そうだった。
いつしかすっかり自分の好きなものを見失っていた。
仕事・家事・育児…スマホを見る時間はあれど、ピアノを触る時間も心の余裕もなかった。
私にとってピアノは母が言う通り、幼い私がなぜか惹かれて、当時の自分の人生で一番の存在である母の反対も押し切って、自分で選んだ趣味の一つだったのだろう。
今の私はやらなきゃいけないことに押しつぶされ、母としての世間体的なものを気にして生きている。私の人生はとても受動的だ。
過去の能動的で自由な自分が選んだ一つのピアノという存在に気づいて、いきなり自分を見つめ直した。
そのあとの乗り換え待ちの時間はずっとピアノを弾いて過ごした。先輩には取り憑かれたように弾いてたよと言われ、ちょっと恥ずかしくなった。
帰りの電車ではピアノのことばかり考えていた。帰宅し、子供を寝かしつけ、寝室を出た私はピアノの前で夜を過ごした。
とても楽しかった。
あれから毎日ピアノを弾いている。
小さい頃の私が、大人の私に持たせてくれた日常の彩りは、少しくすんでしまったこともあったけど、今、また鮮やかになって戻ってきた。